テン年代音楽と川越ニューサウンド

2000年問題にせんねんもんだいは絶好調)から丸10年、ミレニアムな記憶はどこえやら、あんなに夢見ていた21世紀という未来像も当然ながら消え失せ、アナログもデジタルも、現実も非現実もそして古いも新しいも曖昧になってしまったテン年代が始まったと思ったらあっという間にそこからさらに6年が経過しようとしている。テン年代が始まる手前の2008年、私は音楽の扱い方を大きく変えた。それによって自分の作る音楽も大きく変化したはずだ。ダウンロードという魔法によって音楽を物理的に意識する事無く純粋な時間芸術として鑑賞できるようになったことは、そこにリアリティの欠如という危険性を孕むなんていう取って付けたような警鐘もなんのその、文字通り録音(記録)された音楽がそのままデータ(記録)として私たちの鼓膜を奮わせてくれるという、これこそが本来の音楽の姿なのではないかと思える媒介が成立した時代なのだと、何だか関係無いのにその時に生きている自分が誇らしく思えてしまう今日この頃(現在では9割がダウンロード、CDなどでしか聴けないものはフィジカルで買っているが、つまりは私の聴きたい音楽の9割がダウンロード配信しているということだ)。
年始に画策した定期イベントも2回で頓挫、今年アルバムをリリースしたデニスデニムスは活動終了、その後ライブもやる気が失せ、レーベルとしてはしばらく更新が途絶えているので2015年の音楽でも振り返ってベストアルバムでも列挙してみようかと考えたのだが、あまり明確に衝撃を受けた作品が無い事に気付いた。これでは上手く批評文を書く事もままならない、しかもどう贔屓目に見積もっても1位が映画「バードマン」のサウンドトラック(日本盤)というのでは個人的にどうも格好がつかない(事実、どんなエキセントリックな電子音響作品よりもこのAntonio Sanchezのドラムソロが私の体を痺れさせサントラで音だけを聴いているうちに映画のための音楽なのか音楽に映画を付けたのかわからなくなってくるほどに自由で理想的な音楽である。格好がつかないというのは菊地成孔がこの映画を絶賛しているからその評価に便乗しているように思われたら癪だなあという被害妄想を拭い去れないということ)。
それでは今年に限らずテン年代の音楽を振り返ってみればいいのではないか、そうすれば自分のレーベルからリリースしたものを交えて振り返る事が出来るし、レーベルの話が入っていればこのブログに載せるのも不自然ではなくなる!こうやって思いつくままに長々と書いてあれば長いという印象だけで誰も読もうと思わないだろうし、なんとなくレーベルとして活動はしてるんだなあ、更新されているなあ、という印象を与えられればそれで充分である。
ということで2010年から本格始動した当レーベルはまさにテン年代の音楽的生き字引!?そんな時期にTame Impalaがデビューアルバムをリリースしていた。今年出したアルバムも高評価であるが、個人的にはファーストアルバム以外なんの魅力も感じない。その意味でエレキング17号のベストアルバム特集にて過大評価という項目に見事にこのアルバムが挙げられていたことに大きく頷けた。だがそれと同時にOneohtrix Point Neverの新作も過大評価を受けているように思う。私は彼の一歩引いたような音楽への態度に惹かれていたのだが、新作の彼はひたむきだし風変わりなものを作ってやろうという必死感すら感じてしまう。その点2013年に天下のワープレコードから初リリースとなったR Plus Sevenは見事としか言いようが無い繊細かつ絶妙ないい加減さで、よくよく聴けばある程度のデジタルシンセの音源とサンプラーがあれば賄えてしまいそうな、しかもそんなに音色をエディットもせずに組み込んだシーケンスのような作品にしか思えない感覚に陥るギリギリ手前をもの凄いセンスで高水準にしている、達観した才能に手先の器用さを相まみえさせてノンストレスでサラッと1枚作り上げてしまったような印象があった(これほど音楽的でいて非音楽的にも聴こえる、つまりは何か重要な要素がありそうで、実は何も無い、何物でもないという、それはマルセルデュシャンレディメイドとも違う、何物でもないのだから。つまりは無、あらゆる物を経て結果的に無である)。それを私は、ゼロ年代以降テクノから発展して来たかに見えたが実際は小手先のマッシュアップ音楽と何ら変わりない一部のエレクトロニカシーン(これこそは正に無の境地である、無益の無、無産、これといった解釈も考察もない歴史的観点からの分析も無い進化も退化もしていないその場に留まり甘い汁を吸い尽くすことに終止した魑魅魍魎の巣窟)にも一泡吹かせてやったような面持ち(さも自分が作ったような態度だが、あれは賛同した物の総意であり、リスナーが作り上げた新しい音楽へのタームであるとも言える)で聴くともなしに聴いていたのだ。
私はといえば2011年にmetaphoric名義で90年代からゼロ年代初頭くらいまでに影響を受けた音楽を詰め込んだようなアルバムを作り(我ながら遅い)、それまでのテクノやポストロック、はたまたヤン富田やスティーライヒに見切りをつけるとその翌年、初ソロアルバムではいわゆるダンスビートを崩壊させてみせた。とにかくその当時エレクトロニック界隈で聴こえてくるものとは違うものが作りたかった(ここまでをゼロ年代で終わらせておくべきだったのだが)。その翌々年のアルバムはまさにR Plus Sevenを聴いていた時期に制作していたもので、その影響からか、ドラムの音色さえも極力使わずに、かといってノンビート=アンビエントとも違う和音&電気バチバチ(ビリビリだと在りものになってしまうので)とでも言えば良いのか、しかも何故かその時期に平賀源内のエレキテルに興味を持ち始めていて、東日本大震災以降の電気事情ともテーマが重なったような錯覚(電車内や駅でよく観るSAVING ELECTRICITYのポスターにも魅せられていた)も相俟って、Elektricityなどというタイトルを付けてしまった。先程それまで影響されたものに見切りを付けたと書いたが、それでも影響を受けずにおけなかった人物がいる。何を隠そう砂原良徳その人である。テン年代の大きなトピックの一つに砂原良徳の復活が挙げられるだろう。2010年唐突にリリースされた先行EP、そして翌2011年に満を持してリリースされたフルアルバムliminalはまさにLOVEBEAT以降のまりんの音でしかなかった。それに先んじて行われた2009年の復活ライブ(恵比寿リキッドルーム http://natalie.mu/music/news/19590)に意気勇んで参じた事は言うまでもない。思えばそこでたまたま共演していたレイハラカミを観たという貴重な体験も1995年くらいにこれまた新宿時代のリキッドルームでDJとバンドが交互に演奏するというクラブ文化全盛みたいなイベント(LIQID SKY DANCEHALL)でたまたまフィッシュマンズを観れていたという偶然と似たような体験を経ている事も感慨深いものである。
さてまたレーベルあるいは私個人の話に戻るが、ソロアルバムを出した2012年あるブログを立ち上げた。気になったエレクトロニック系の作品のジャケットを羅列して行くブログである。気になった順に貼付けているのでリリース年も順不同であるが、だいたい新譜をチェックしながら選んでいるのでそこそこ年代順でもある。気まぐれに一部の作品にコメントも入れている。そのきっかけとなった作品がTERRANOVAという90年代から活動しているテクノユニットのメンバーであるXaver Von TreyerのファーストアルバムThe Torino Scaleというアルバムである。その頃俄に起こっていたデトロイトテクノリバイバルが関係したかどうかは定かではないが、このアルバム中のTB303をフィーチャーした曲がただのそれとは少し違って聴こえたのだ。これをただのリバイバルで終わらせてはつまらないとでも思ったのか、すこし今までのテクノの影響下とは違う取り入れ方をしているものはここに列挙していこうと考えた私は勝手にアカデミックアシッドリバイバルなどと称し新しい音響への手掛かりとしてこれを更新し始めた(http://niwanokns.hatenablog.com)。その過程で最も感銘を受けたのは去年発足したとおぼしきポルトガルのレーベルNachtstuck Recordsの主催者でアーティストのTiago Morais Morgadoの諸作品である。これまたテン年代の音楽的象徴であるサウンドクラウドでたまたま出会っただけで、日本のメディアでは一切紹介されていないので詳細は全くわからないが、英語のト書きを読む限りインプロ、音響シーンとクラブシーンの影響から独自のソフトで電子ノイズを生成している模様。それは同じく2014年の衝撃としてあるshotahiramaのpost punk以降の作品とリンクしているといっても過言ではない即興とアシッドリバイバル以降の電子音響が結実した新しい音楽と呼べるものであった。これらの制御されたノイズ/グリッチをさらに進化(退化)させダンスビートを融解させた音響世界は後の電子音響やその他の先端音楽に少なからず影響を与えてゆくであろう、とその時大いに息巻いたのだが、なかなか浸透していないようだ。これ以後多少なりともこのムーブメントに加勢したとおぼしき作品も見受けられたのだがやはり既存のビートから解放しきれていない印象を受けるものばかりである。その中でも健闘に値していたのはRussell HaswellのAs Sure As Night Follows Day(2015)くらいだ。ただそれはあくまで新しいムーブメントの流れかどうかであって、他にも流れは沢山あるし素晴らしい作品も多々あったのは言うまでもない。例えばデンシノオトさんがプッシュしているEntr’acteというレーベルはとてもユニークだ。残念ながらダウンロード販売もしておらずCDなども入手しづらいのだが来年以降個人的にはそういった入手経路も確保できそうだ。日本でshotahiramaに負けじと先端音楽を模索するshrine.jpのダウンロードシリーズ(2014)には当のshotahiramaも参加。他にもsuzukiiiiiiiiii x youpyなど既存のグルーヴを刷新すべく挑戦的な電子音響がラインナップされた。さてshotahiramaの話をしたならばここに挙げておかなければならない作家がいる。刀根康尚である。2011年には万葉集を独自の変換プログラムによって電子音響化したMUSICA SIMULACRAをリリース。全和歌の音声データを収録したディスクとセレクションCDを収納した特殊ケースはオノヨーコを連想させるような白い箱でアーティスティックな雰囲気漂う代物だった。そのグリッチサウンドの先駆けともいえる電子音響はまさにアシッドムーブメント以降の音響シーンを予感させるもので、Ovalよりも先んじてCDの読み込みエラーに注目した氏ならではの着眼点には脱帽せざるを得ない。ただしこの作品は発表から14年も前に構想されたものだし、なにより氏はアシッドムーブメント以前から電子音楽実験音楽に関わりむしろそれ以降のダンス・クラブ文化に多大な影響を与えている作家(左記のオノヨーコも参加したフルクサスの創設メンバー)であり、テクノ以降の新しい音楽というレッテルなど無用なのは言うまでもない。ただこの作品がテン年代初頭であり、過去作品を含め氏のサウンドが以降のshotahiramaなどのサウンドにあまりにも直結しているためここに挙げさせていただいた。
エレクトロニック系の話ばかりになっているので再びiTunesのプレイリストを見てみよう。テン年代の始まりにステレオラブがラストアルバムをリリースし、その活動に終止符を打っている。ゼロ年代半ばにはシカゴ勢やドイツ音響派と手を切り、その独自のポップスセンスと共に徐々にブランド化を進めていくのであるが、何にせよこのバンドが無くなるのは私にははらわたを抉られたような感覚、痛みを伴わずとも喪失感は否めなかった。思えばゼロ年代の半分はこういった喪失の時代であったような気もする。ただ記憶は定かではない、定かではないので何に影響を受けたか、どのような発見をしたか、どんな新しい音楽が生まれたかもあまり覚えていない。そのような曖昧な心持ちのままテン年代に突入し衝動的にレーベルを始めた。1年に必ず1枚はアルバムをリリースするという公約を掲げ己の不確かな感性を明確化し、自分が一体いかほどのものを作り出せるのかその有り様を確認しようとする目論見があったかどうかは定かではないが、来年リリース予定の新作ソロアルバムを完成させた今、需要はどうあれ公に出す前提で何かを作る事は30代に入った私にとってただただ衝動のままに創作するよりもいくらかは有意義な作業であったと思える。
三度プレイリストへ。年ごとにピックアップしたリストを見ていると毎年のように名を連ねているバンド名に気付く。それは復帰したLUNA SEAである。インディーズ時代のアルバムのセルフカバー、20分を超える大作THE ONE、その翌年には新作フルアルバムのリリースと精力的で内容も充実したものであったように思う。そして私の音楽人生に大きな影響を与えた(93年にVITAMINを聴いて覚醒した)電気グルーヴゼロ年代以降の活動の中で2013年、人間と動物という傑作アルバムを生み出す。このアルバムで驚愕したのはサウンドよりむしろその歌詞であった。もはや本能と化したアシッドハウス的手法が言葉にまで浸透してしまった、仮歌の母音に沿わせて言葉を当てはめていったという手法は決して新しいやり方ではないが、彼らにしかない言葉選びのセンスを活かした、まさにアシッドハウスの文学化である(この作品によって私の中にあったまりんロスを克服、ひいては2000年にリリースされたVOXXXを冷静に聴き直すこともでき、そもそもまりんロスのせいではなく、当時の二人になった電気グルーヴの特異性を全面に押し出したフレコミのせいで正当な批評を持てなかったことが悔やまれた。よくよく聴いてみると全てのベーシックトラックがサンプリングされてしかるべきほどの良質なサウンドメイキングであり、一見ふざけているかに思えるボイスサンプリング操作などは唯一無二のセンスに裏打ちされたクラブ文化におけるモニュメント的存在となるべき技術革新であった、つまりは第2期アシッドムーブメントであるテクノを終わらせた(補完した)のは電気グルーヴだったのである)。そしてついに電気グルーヴの歴史を紐解くドキュメンタリー映画が今年公開となった。この映画によってまだまだ正当な評価が成されていない彼らの真価が多少なりとも知れ渡るであろう、少なくとも正当にいや多少過大評価のきらいもあるPerfumeのライブドキュメンタリーを見るよりは幾分か有意義であろうはずである。テン年代に入っての彼女たちの注目すべき所は、分かりきった舞台裏の努力の様子ではなく新曲を出す度にその度合いを薄めつつあるオートチューンによる声の変調と生声のバランスである。今年リリースされた2枚のシングルはほぼ彼女たちの地声で紡がれており、いわゆるロボットボイスは曲のブレイクなどに効果音的に使われる程度だ。いや全体的にまぶしてもいるが意識して聴かないとオートチューン独特の変調はわからない(むしろ音程を安定させる為に使っているようにしか聴こえない、それは多くの作品のミックス段階で為される日常的な編集技法である)。にしても私たちはその声もperfumeだと認識することが出来る、それは受け手の慣れもあるだろうが、それよりも彼女たちがパッケージ化された楽曲を繰り返し聴く事で自分たちの声はこういう声だと錯覚し、とうとう地声がperfumeのあの声に近づいていったのかもしれないと推測するのも一興である(余談だがのっちの声は未だ変調度が高い、これは彼女の音程の揺らぎの大きさのせいか・・・いやエフェクトがかかりやすい声質なのだきっと)。
他には椎名林檎の2014年のアルバム、日出処も彼女のデビューアルバム以来の衝撃であったし、ゆらゆら帝国解散(これもゼロ年代の喪失の一つだ)後にソロ活動に入った坂本慎太郎の同年のアルバム、ナマで踊ろうはネオ渋谷系ともいうべきピチカートファイブや初期コーネリアスが醸し出したグルーブが新たに更新を遂げたようなポップスだった。そして決して多作でなくともコラボレーションを含め90年代からコンスタントに作品をリリースしている竹村延和テン年代の作品はツジコノリコとの共作(2012)、そして12年ぶりのソロアルバム(2014)である。そのコラボ相手のツジコノリコは何と去年エディションズメゴから生演奏中心のアルバムをリリースした。そのメゴを語り出すとキリが無いので一人だけ挙げるとすればBPMではなく秒単位でビートを配し別の意味でアシッドリバイバルを再構築したアーティストMarkFellだろう。
さて、あらためて今年はどんな音楽があっただろう。正直大きな衝撃を受けた記憶は無い。ただ小さな発見は沢山あった。ビートメイカーにしてノンビートのビート作品を成立させたAhnnu、90年代以上にブラー然とした新作で復活を遂げたブラー、フィールドレコーディングから未知の旋律を編み出したChassol、ついにフルアルバムをドロップしたFloating Points、ユリイカを自ら否定しそれを凌駕したアルバムを完成させたジムオルーク、恐ろしいリリースペースでダウンロード時代を見事に取り込んでしまったデレクベイリー直系・即興ギタリストNoël Akchotéのマイケルジャクソン・カバーアルバム、今もって成熟を拒み若さ溢れるフレッシュで危険な音像を作り上げたPhilip Jeckや同じく若さ溢れる佐野元春の新譜も素晴らしい。年明け2日目に武道館で単独公演、スチャダラパーの新作に参加、27時間TVではエンディング間近にユーミンに扮し登場、マラソンに興じる大久保加代子氏にモノマネでエールを送った清水ミチコはなんと大晦日前日にも武道館でライブを慣行。個人的に今年のアンセムソングとなった女王蜂のヴィーナスも未だに繰り返し聴いている(ちなみに再生回数13回で今年2位。1位はジムオルークの新作1曲目で25回となっていた)。リストアップした作品数も例年の2倍になっている。衝撃は受けずとも素晴らしい作品は沢山あったということだろう(Apple Musicサービスの開始が多少影響しているだろうが基本的には経済的理由で試聴止まりだったものを聴き返す作業に終止していた)。音楽に限らず今年は様々なトピックに満ちていたような印象がある、だがどれも明確に思い出す事が出来ないのだ。矢継ぎ早で同時多発的、どちらかというとネガティブ傾向が強かったようにも思えるし、さらに今までの未解決案件も煮詰まり返ってるのに一向に誰も火を止めようとしない、一見解決したかに思える問題も臭い物に蓋の如し実は何も解決していない。それらが溜まりに溜まった今年は何かと街を行き交う人々がせわしなく、それでいて無気力に見えることが多かった。とてもじゃないが自分の世話で手一杯、人の事なんか考えていられない、この世知辛い昨今アホの方が特をする、それならばいっそアホのフリをしていよう。そんな思惑が蔓延しているのではないかと考えただけで恐ろしくてとてもじゃないが気軽に外出も出来なかった。それでも何とか職場と家の往復をこなしているうちにいつの間にか年の瀬になっていた。来年はせめて自分らしく、これぞというもの、ここぞという時を見極め、そして己がこの人ぞという一人になれるように精進していきたいと強く思う。という初夢を見たい。